昨日は、県の写真部会でした。
私は急に仕事が立て込み遅れて到着。
別の大きな会議があっているようで
いつもと違う応接室が会場でした。
校長室の横にある部屋ですから
校長室の歴代校長先生の顔写真がズラリかけてありました。
帰りがけ、その顔写真の話になり
モノクロからカラー
銀塩からディジタル
の話題になりました。
古い歴史を持つ高校で
顔写真そのものが
写真の歴史を物語っています。
今年の高校文化祭の作品は
さらにディジタル化が進みそうです。
銀塩写真の作品は昨年度よりもさらに少数になりそう。
これも時代の流れでしょうか。
数年前に、高校文化祭の募集要項で
銀塩かディジタルか
どこまで写真の加工が許されるのかなど
かなりの時間をかけて協議をしていたことが
懐かしく思い出されます。
いまや高校写真部でもディジタル写真が
主流になっています。
フィルムカメラを使ったことがない生徒もいますし
カメラ売り場でフィルムカメラを探すほうが難しいですからね。
感材もずいぶん手に入りにくくなりました。
そんな話題から、改めて銀塩写真について考えさせられました。
フィルムからディジタルへの流れは
カメラや機械の性能や特徴だけではなく
写真に対する人の姿勢も変えたような気がします
ここ数年の夏の写真大会を見ていると
私たちの頃と写真の撮り方が全く変わってきています。
私はこの撮り方を
「とりあえず撮っておこう撮り」
と呼んでます。
決して悪いことではないですよ。
ただね、一生懸命ファインダーをのぞいて
いろいろ考えて撮るってことが
少なくなったなと思うんです。
いったんファインダーのぞいて
シャッター切るのやめるって行動
最近あんまり無いでしょ。
だって、とりあえず撮って
モニタで確認して気に入らなければ
消したらいいんだから。
でもね、もっと頭でっかちな写真があっても
いいかなと思ってくるんですね。
36枚撮りのフィルムをセットして
被写体と向き合うとなると
そうはいきません。
時間もお金もかかるからね。
私は高校時代シャッターチャンスを逃して
何回悔しい思いをしたか…
フィルムを選んで
ひとコマひとコマ丁寧に撮影する
でもそんな撮り方する人
よほどの写真愛好家しかいなくなりました。
4年前私が顧問をしていた時は
1年生はモノクロ銀塩で
2年生はディジタルでの出品でもよいとしていました。
表現を制限するこのやり方は賛否両論あると思いますが、
わざと言うんです。
このフィルムが○○円で、この印画紙が1枚○○円で…
そしたら、それまでディジカメでバシャバシャ撮っていた子が
36枚も撮りきってこないんです。
じゃあ、写真はどうかというと
ディジタルカメラと変わらないくらい良い写真でいっぱいでした。
電線が邪魔だとか、もっと寄って撮ったほうがいいとか
考えたそうです。そして疲れたそうです。(笑)
さらに、撮ってきてが終わりじゃない
それを現像して、プリントするまで
自分がファインダーで見た景色を
自然と注意深く確認する段階がいくつもあります。
よく、銀塩のほうが良い発色だとか
繊細な表現ができるなんて声を聞きます。
確かにそう感じる方もいるので
その議論を真っ向から否定するわけではないんですが
ディジタルカメラはますます進化して
銀塩を完全に凌駕する時代は必ず来ます。
だから、写真機構そのものや性能に関する議論よりも
写真に向き合う姿勢を養う道具としての銀塩に
もっと目を向けるべきなのではないかと思っています。
銀塩写真はディジタル写真に比べて
ひとコマにかかわる時間が自然としかも圧倒的に長くなり
丁寧に被写体と向き合う姿勢を養うことができます。
この1点に私は銀塩写真の魅力を感じます。
そして、いろいろ失敗するんです。
シャッターチャンスを逃したり、
フィルムを入れ忘れてシャッターを切り続けたり、
巻くの忘れて蓋開けて感光させちゃったり。(笑)
失敗は成功のもと!
2012年10月13日
銀塩写真
posted by mittake.com at 08:40| Comment(0)
| 写真
この記事へのコメント
コメントを書く